日帰り
徳川四天王 武勇と知性の榊原康政 ゆかりの地めぐり
徳川四天王の一人、榊原康政(さかきばらやすまさ)は、生涯かけて家康を信奉した人物です。三河一向一揆の時、造反する家臣が多い中、康政は家康側につき初陣を果たしたこと、「関ヶ原の戦い」に大遅刻した秀忠と家康の仲を取り持ったなどカッコイイ逸話が多く残っています。そんな榊原康政の生誕地を含むゆかりの史跡を巡るコースです。
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1日目
豊田東IC

上野城跡(上野上村城主戸田氏墓所)
榊原康政生誕之地碑は550m先の上郷区民会館駐車場にある
上野城は、応仁の頃(1467)伊勢貞親の被官であった戸田宗光による築城と伝えられています。明応2年(1493年)井田野(岡崎市)の戦いに勝利した松平家の居城になりました。松平家の内乱後は、酒井忠尚が城主になりましたが、永禄6年(1563年)忠尚が三河一向一揆の総大将として蜂起したため、徳川家康に攻め落とされてしまいました。
車で3分(1.5㎞)

隣松寺
豊田市において、家康とのかかわりを多く伝えるお寺です。家康が一向一揆の際に、一揆勢の有力な武将の一人であった酒井忠尚の居城・上野城(寺から南西に約1㎞)攻めの本陣とした場所と伝わります。榊原康政の祖父・清長、父・長政の墓が残ります。
車で2分(1.2㎞)

鴛鴨城(おしかも城)
鴛鴨松平氏初代から三代まで97年間(1468年~1565年)の居城。三河一向一揆では、鴛鴨城の南の上野城主・酒井忠尚は一向側に与したため、松平側は鴛鴨城を拠点として上野城を牽制しました。
車で5分(3.3㎞)

桝塚味噌 のだみそ株式会社
伝統的な木桶醸造を守り続け、日本の食文化の普及に努める天然醸造の豆味噌メーカー。味噌蔵は、大正時代の小学校の校舎や第二次大戦中に海軍の岡崎飛行場の格納庫であった建物を改装した歴史あるもので、約400本もの杉、桧の木桶の中、こだわりの味噌が育てられています。
豊田東IC